日本各地に残る浦島太郎伝説の中でも「三豊市詫間町」は伝説にちなんだ地名や浦島太郎に関する史跡が多く残され、町内各所に浦島太郎像が設置されています。
浦島神社の浦島太郎像
浦島神社は三豊市詫間町の「丸山島」に祀られている神社です。
建立は明治16年と古い神社です。
その神社の前に「浦島太郎像」が建っています。
この神社に行く方法は完全に潮がひく大潮の時に現れる海の道を通るしかありません。
こちら側から丸山島までうっすらと道が見えるのがわかりますか?
海に腰までつかってもいい覚悟があるならいつでも丸山島に渡ることができます。
三豊市箱裏漁港
箱裏漁港には「常世亀」と「浦島太郎親子の墓」があります。
「箱」という地名は、この地で浦島太郎が玉手「箱」をあけたからだ、という言い伝えがあります。
わかりにくいところにあるので手描きの「常世亀」の看板を目印に行ってください。
道は大変狭くなっていますので、注意して走行してください。
あちこちに設置されている「常世亀」の看板
常世亀の説明です
常世亀
常世亀の見つめる先に竜宮はあるのでしょうか
地元の子ども達による手書きの撮影用看板
浦島太郎親子の墓
「常世亀」の少し隣には浦島太郎親子の墓があります。
海上安全のための龍王石碑
裏側
浦島太郎像
いつでも見られる浦島太郎像はこちらです。
香川県三豊市詫間町 詫間大橋(高瀬川)
まとめ
浦島太郎の伝説は各地に残されています。
詫間町になぜ浦島太郎ゆかりの地が残されているのか、というと
詫間町にある「大浜」「積」「生里」「箱」「香田」「粟島」「志々島」を総称して「浦島」と呼ばれていたからです。
室町幕府第3代将軍 足利義満(1358~1804)が1389年に厳島神社(広島)参詣の折に瀬戸内海の三崎神社(生里)を参拝したときに。
「へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の名こそしるけれ」と歌を詠んでいることから室町時代にはすでに「浦島」と呼ばれていたことがわかります。
日本書紀の時代から登場している浦島太郎
瀬戸内の海を眺めながらゆっくりと浦島太郎の足跡を巡ってみるのもいいものですよ。