香川県の偉人ベスト3は
「平賀源内」 「大平正芳」 最後で悩むところですが
とりあえず「平賀源内記念館」に行ってきました。
平賀源内記念館
平賀源内は全国を股にかけ各地に足跡を残しています。
その各地での交流ぶりや残したものを展示している記念館です。
550m離れたところにある、平賀源内遺品館には平賀源内の生家でもある旧邸があり、その一隅に ゆかりの薬草園があります。
平賀源内とは
下級武士の三男として生まれ11歳のときに「カラクリ掛け軸」を作り、神童と言われ25歳のときに高松藩からながさきへの遊学許可が与えられます。
ここで源内、脱藩!
その後現代の「東京」=江戸に渡ります。
薬草や鉱物が高くて手に入りにくい状況を憂いた源内は江戸時代に、全国の飛脚問屋と契約を結び独自の物流網を整えることで全国各地から珍しい薬草や鉱物などを集め、多くの参加者に公開する場をつくりました。
その一方でチラシをつくり、全国各地の学者に事前配布する、という今で言うマーケティングを自ら手がけます。
1762年(宝暦12)に開催した物産展「第五回東都薬品会」は画期的な規模の物産展となり、出品数が1,300種を超える大イベントとなりました。
イベント終了後には出品物の図録『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』をせっせとつくり出版するということをしています。
物産会の成功により「本草学者・平賀源内」の名は江戸で高まり、時の老中・田沼意次も知るところになりました。
とにかく頭が良くて行動的な人間です。
平賀源内の作ったもの
- 日本初の万歩計
- 寒暖計
- 燃えない布「火浣布(かかんぷ)」
- 日本初の国産毛織物
- オリジナル陶器(源内焼)
- 日本初の西洋画
『解体新書』の著者のひとりである蘭方医・杉田玄白は「(源内は)生まれつき物の理を悟ることが早く、時代の風を読むことにも長けた才人である」と語っています。
多才な平賀源内
俳句も戯作もキャッチコピーも作り「エレキテル」も作ります(修復)
エレキテルは「静電気発生装置」で西洋から壊れたエレキテルを入手後7年たち、修復できたそうです。
そして、エレキテル修復という快挙からわずか2年後、平賀源内は投獄されてしまいます。
平賀源内の罪
最後(左)の2行目です。
事件の詳細は不明な点が多いのですが、大名屋敷の修理を請け負った際、酔って修理計画書を盗まれたと勘違いした源内が大工2人を殺傷してしまったといわれています。
投獄から1ヶ月後、源内は獄中で世を去りました。
享年52才
死因については、破傷風による病死というのが有力な説ですが、獄中では死んでいないという説もあり本当のところはわかりません。
まとめ
頭のいい人は頭の中身を理解してもらうのに苦労するんだなあ、と思いました。
あと多才で薬学も齧ってて死因も死んだこともわからない、って「サンジェルマン伯爵」みたいだなあ。
こういうところから歴史への興味の扉が開いていけばいいですね!